落ち込んだ日のできごと・・

ある日、私は、とても落ち込んだ。人は、こんなに悪意をもって行動できるのだと思い、悲しいというのか、腹立たしいというか・・でも、一番ぴったりくるのは、身体中の気が抜けて茫然としたというのがホントのところ。
そのとき、パセーラにいたのですが、30分ほど、この出来事について一緒にいた人と話し合い、なぜこんなことが起きたのか振り返っていました。でも、あれこれ考えても始まらないですね、今日は、ともかく帰りましょう、私はそう言って別れを告げましたた。

何だかすぐに帰る気にもなれず、ふらふらとさまよい、朝から何も食べていないので、ボッシュファーストに立ち寄り、ワッフルをいただきました。おいしいものを食べると少し気分がよくなる‥はずですが・・・相変わらず、ふらふら、脱力感があると思いました。

その後、まだまだ帰る気になれず、紀伊國屋で、茫然と本をにらみながら、何も当てがなく、ふと、今度お会いする予定のKさんの本を探そうと思いつきましたが、全部、在庫なしという状態でした。

脱力感はまだまだとれない。やはり少し休むべきだと、自宅に帰り、横になりました。うとうとと仮眠した後、やはり、Kさんの本を読まなきゃと思い、インターネットで、図書館検索をしました。県立図書館にあるという情報をたよりに、再び出かけることにしました。脱力感は、まだぬぐえないけれど、図書館に向けて出発しました。

途中で再び寄り道をしました。フタバ図書タリーズでお昼を食べ、もしかして、Kさんの本はここにあるかなと思いつき、探しました。すると、今度は「ある」ということでした。しかし、置いてあるはずの棚をどんなに探しても見つからず、15分くらい探した後に、カウンターに行って、「この本がないのですが」と尋ねました。すると、女性の店員さんが一生懸命探してくれましたが、やはりありません。私は、そばにあった別の本を読み始めました。すると、今度は、男性の店員さんがやってきて、目を周囲にめぐらしてました。そして、次の瞬間、その本の在りかを見つけ出し、私に本を差し出してくれました。

何と、すごい、さすがプロだと感動しました。その彼はにっこりとほほ笑んでいます。可愛い装丁の小さな文庫本は私の手の中です。
ついでに何冊かの本を買いました。

図書館に行く必要がなくなり、私は再び家に帰りました。夕食を何とか作って、食事して、入浴して。そして、再び、ぐったりして、休みました。

夢の中で、本の著者と語りました。哀しい物語、理不尽な行動への憤り、情けない生き方に対するもどかしさ。それらすべては、未来ある人への愛で包まれていました。

次の日の朝、目を覚ましたとき、脱力感がなくなり、Kさんとどんな話をしたらよいかと思いめぐらしていました。前日の落ち込みは、徐々に「あきらめ」となっていました。

悪意を感じた人との話し合いも続けなければなりません。様々な物事は、重層的に、同時に進んでいき、私を落ち込みから救い出してくれます。